情報発信

渋谷駅で唄うストリートミュージシャンを見て思ったこと


ストリートミュージシャンのファン

先日の東京の話。

打ち合わせもあって渋谷駅周辺を歩いていたのですが、そこで出会ったのが一人のミュージシャン。

 

「丈次郎(じょうじろう)」

 

初雪が観測された北海道より寒いんじゃないか?と思うくらい冷えこむ夜に駅前の交差点で一人、マイクを片手に唄っておりました。

 

ライブに何度も足を運んだことがある好きなアーティストの曲だったので、思わずちょっと立ち止まってしまった。

唄っていたのはこれです。

 

なんか、歌が上手とかそっちのけで単純に「すげえなー」と思いました。

 

彼の周りにはたくさんの人が集まっていて

・みんな目を輝かせながら
・カップルが聞き入るように

なんてことは全然なくて、むしろ通りすがりの人はほとんどが半笑いだった。

 

彼に限らず路上で唄っている人のほとんどがそうだと思います。

ベストヒット歌謡祭でコブクロのストリートライブの映像が流れていたけど、あんな凄いアーティストだって最初は大変だったのは想像に難くない。

 

だけども、歌い続けている。

誰に頼まれるわけでもなく、自分たちの意志で。

 

路上ライブをしている人たちの背景はわからないけど、どう考えても自分が目指すところが無いとやらないと思います。

 

「自分の歌を届けたい」

「唄うのが好きだ」

「唄うことで自信が持てる」

 

あるいはただモテたいというストレートな欲求に素直なのかもしれないし、きっと色々な想いがありながら「カラオケボックスではダメな理由」があってあの歩道に立って唄っている。

なんか、めちゃめちゃカッコイイです。

 

どのタイミングで~とか、誰が~とかまったく覚えてはいないけれど、きっと僕も以前はそうやって路上で唄う人を笑っていました。

 

アイツ、暇だなー

夢追い人とか、痛くね?w

 

なんて友達と話しながら通り過ぎていたでしょう、おそらく。

同じような感覚の人は間違いなく多くて、何ならむしろそっちが8割以上なのでは?とも感じるくらい。

 

その理由は単純明快で、ラクなんです。笑う側にいる方が。

笑われることなんて選びたくない。普通は。

 

野球にしてもサッカーにしてもバスケにしても、何でもそうですよね?

それこそ学生時代の球技大会だってそうだ。

 

プレーしない方が、表舞台に立たない方がノーリスク。

事実として人前に出ることを避けたことが自分自身も過去に何度もあります。

 

それなのにストリートミュージシャンを笑ったりしていたわけですが、今ハッキリとわかるそのときの感情としては、どこか羨ましかったんです。

「自分」を発信していることが。

 

野球部でキャプテンだったとき

「もういっちょ頑張ろうぜ!」

と言えば、早く帰って遊びに行きたい部員から

『もういいじゃん、今日は』

と返されることは少なくありませんでした。

 

(俺だって立場上、半ば仕方なく言ってんだよ!)

この言葉を噛み殺して、心のうちに閉まっておくのが大変だったときもあった(笑)

 

アパレル販売員として百貨店で店長をやっていたときにも当然同じようなことは起こるから

「今月は予算達成が見えてるから頑張ろう!」

と朝礼で発言したところでヤル気のないスタッフは

『はい!』

とは言いながらも

(どう考えても厳しいだろう)を顔で表現するのが上手だった。

 

今こうして情報発信をしていて改めて腑に落ちる部分でもありますが、自分が発した言葉で100人中100人が納得してくれることなんてほぼ皆無です。

ほぼというか、基本的にあり得ません。

 

これは、誰しもクラスの全員と仲良くはなかったことを思い浮かべると必然的な部分に気付きます。

 

でも本当、なにかを発信すると必ずと言っていいほど笑う人や批評する人がいます。

 

でも、それを気にするあまり自分を表に出せないってマジでもったいないし、必要としている人や待ってくれている人にも届かないなんて普通に嫌だ。

丈次郎がどれほど人気なのかわからないけど、仮にあの場に100人いたとして99人がアンチだったとしても僕は心を動かされました。

そういうものだし、それでいいんだと思います。

 

人を笑うだけの虚しい人生は送りたくないから、

僕は笑われる側でいたいと思います。