今の人生に満足しているかを問われたとき「イエス」と即答できる人は少ない。そんな現実を前にして、変えるために何かをしている人もまた少ない。
数年前、僕もまさに「何かしたいけど何をしたら良いかわからない」という想いを抱えたまま立ち止まっていた。走り出すきっかけを探していた。
だからわかる。きっかけなんてこの世には無数に転がっていて、それゆえに「きっかけ」として認識されていないだけなのだと。あるいは心のどこかに潜む「今のままでいい」という想いによって、無かったものにされているのかもしれない。
ただ、僕の人生はひょんなきっかけで確かに動き出した。
名前も知らない人が書いた一冊の本だった。さして内容は覚えていない。
月給15万円の何もなかったアパレル店長が会社に雇われなくなり、自らの会社を設立するまでに至った。他人事でしかなかった「起業」という選択をして全国を飛び回っている。
こういった事実を知ったら自分にも出来るかも?」と感じてくれる人がいるのではないか。楽しい人生に向けて動き出す人がいるのではないか。
そんな想いから筆を進めてみようと思う。あなたの「きっかけ」になれることを信じて。
今の時代、多くの人が待遇に不満を感じたり人間関係に疲弊したり…。そういった悩みとは常に隣り合わせだと言われている。
もちろん僕もその一人だった。
田舎から札幌へ出てアパレル販売員という職業に就いた2年目、外資系ラグジュアリーブランドの店長として百貨店に立った。当時23歳だった僕は自分の明るい未来を少しも疑うことはなく、まだその事実に気付いていなかった。
医者・政治家・弁護士に経営者。世間一般に「成功者」と呼ばれるような職種の顧客を接客しながら、自分自身が「勝ち組」になったような喜びを感じていたことは否定しない。
店舗売上が低迷したことも、全員が年上であるスタッフの教育に頭を悩ませたこともあったが、いずれも夜眠れないほどではなかった。店舗の販売実績が評価されて百貨店全体の朝礼で表彰を受けたこともある。
そんな経験を活かし大手の外資系ブランドへ転職を決めたキャリア構築は、客観的に見てもそれなりに順調だったように思う。
でも、僕は何も手に入れられてはなかった。
30歳の大台が数年後に迫ったときの年収は200万円台で、将来性に大きな希望が感じられるでもない。日に日に募る焦燥感を前にして、アパレルへの挑戦を決めた際に立てた「お金で仕事を決めない」なんて想いはいつの間にかキレイに消えていた。
100円のブラックコーヒーと130円のカフェオレを迷った挙句、いつも前者をレジへ持っていく自分が嫌いだった。10円の「うまい棒」1本だけで昼食を済ませたときには、情けなさを通り越して笑えた。別に面白いことがなくても人は笑うらしいと知った。
それでも「外資系高級ブランドの店長」という肩書きにすがって自分を保っていた当時の僕は、今思うとかわいくて微笑ましい。
「誰かに与えられた肩書きでは自分を守ることはできない。」
そんな現実を突き付けられた僕に、絶望とも呼べる感情が容赦なく襲いかかってきたことを記憶している。今までの頑張りがすべて無駄になったような、自分のこれまでを否定されるような。
28年の人生の中で、この時期ほど「お先真っ暗」という表現がぴったりなときはなかった。
ただ、これで良かったのだと思う。大企業がどうだとか、外資がどうだとか、肩書きがどうだとか。結局は組織への依存に過ぎず、誰が守ってくれるわけでもない。
誰かに寄りかかることでしか生きられない、そんな自分に気付くことができたのだから、これで良かったのだと思う。
強くならない限り守れないんだ。自分も。大切な人も。
それから僕は、個人の強さを求めてビジネスを始めた。今の時代に許された特権「インターネット」の力を借りて、会社にバレないように副業を始めた。一番速く稼げるという、「せどり」と呼ばれる物販ビジネスを選んだ。
経験スキルなし、人脈もなし。パソコンすら初めて購入した素人でも出来るものなのか?初めは半信半疑だったが、そんな素人にもインターネットビジネスは結果をくれた。
開始4ヶ月目で月商100万円を突破し、当時の手取りでも届かなかった月収30万円を自分の手で稼ぐことができた。このとき僕は、「会社に雇われる」という選択を捨てた。
起業という道を歩き始めて、もう4年が経つ。
あの日、雇われることを捨てた僕は、今も生きている。いや、「生きている」という言葉だけではあまりに不十分かもしれない。
会社の代表となった僕は毎朝好きな時間に起きて事務所へ行き、大好きなワンオクを聴きながらパソコンを開いて仕事を始める。嫌な人間と顔を合わす必要もなければ退屈な仕事に精神をすり減らすこともない。ストレスと呼ばれるものがない。
こよなく愛する高校野球のシーズンには毎日球場に足を運べるし、仲間たちと昼間から乾杯する平日は最高に楽しい。当時の年収の2倍にあたる500万円という大金を、ひと月で得ることだって出来るようになった。
当時僕はこの言葉が大嫌いだったが、確かに「人生が変わった」のだと思う。
今、あなたは何を思い、毎日を過ごしているだろう?
肩書きを失ったときの僕は何もなかった。絶望にまみれ、立ち上がる気力すらなくした。紙幣のない財布から、「自由」の匂いはこれっぽっちもしなかった。
ただ、一度きりの人生をこのまま終えることだけは絶対に嫌だと強く想った。
生きていくだけならイージーゲームだと言われる今の日本において、自信を持って「人生が楽しい」と言い切れる人がどれだけいるかわからない。少なくとも当時の僕は、そこには該当しなかった。
でも今は違う。きっと少数派であろう「人生が楽しい」と本音で言える側に僕はいる。
本書は「人生を変えたい」「もっと楽しく生きたい」と願うあなたに向けて僕の実体験だけを書く。
何者にもなれなかった個人が自らの手で稼ぎ、自分の名前を名刺にして生きていく、新時代の働き方を伝えたいと思う。
「好きなことを仕事にしよう」最近よく耳にするフレーズだが、僕にとってはアパレルがそれだった。
高校まで野球一筋できた自分が初めて見つけた「やりたい仕事」。人よりも早く店長・マネージャーという役職を経験できたのは、単に仕事が好きだったからだと思う。あと、めちゃくちゃ書類選考で落とされたから。
資格もバイトの経験もなければ昔から洋服が大好きだったわけでもない。むしろ逆だ。私服がユニフォームだったといっても過言ではない当時、僕はファッションセンスなんてものは持ち併せていなかった。
だからその「知らない世界」に楽しさを見出して胸を躍らせたのだけど、田舎から出てきた未経験の素人に業界は冷たかった。何十枚も書いた履歴書も書類選考をパスすることはほとんどなく、証明写真の代金だけが嵩む。
合否の連絡を待つあいだ、内心諦めつつもほんの少しの希望を捨てられず毎日ポストを覗く自分に嫌気が差したりもした。結局、9割は不採用の通知すら来なかったのだけど。
世間に置いてけぼりにされたような気持ちで、茹でたパスタに塩胡椒だけをかけて食べるという日を何日も過ごした。
お茶漬けの素を振ると美味しいと気付いたのは、もう少し後だ。
このときの経験があったから、仕事がある喜びを知れたから。だから真剣に働けたというのは間違いなくて、そう考えると僕にとっては大切な期間だったのかもしれない。
未経験から何かを始めようとする人に自信を持って「大丈夫だよ」と言えるようになったのもそのためだ。あのときの経験が後ろ盾になっているから結果としては悪くない。
ただ、その後は順調に階段を上ることができた僕の前に、ちゃんと「壁」は現れた。アパレル販売員なら、いや、社会人なら誰もがぶつかるであろう「壁」が。
「30歳」という目には見えないそれは、自分を勝ち組と勘違いしかけていた僕をいとも簡単に現実へ引き戻した。
店長経験を活かして大手企業への転職に成功した頃の僕は、年齢でいうと20代後半に差し掛かっていた。
他ブランドに勤務する少し年上のスタッフ、あるいは自店の先輩スタッフ。30歳前後でアパレルから退く決断をする人は多い。
以前の僕であれば「俺は転職に逃げたくない」と豪語し、そんな普通の人たちと自分は違う、と言わんばかりの気持ちでいたことは確かだ。勢いがあって良かったと思う。
だけど理想と現実は驚くほどにかけ離れていて。
30歳になった自分を考え始めたとき「こんなギリギリの生活を続けていって、大切な人を守れるのだろうか?」という疑問と不安が日に日に募るようになった。販売員はもとより、激務薄給の会社員たちも同じ体験をしているだろう。
あのとき「そんな普通の人」と揶揄した中に、もれなく自分も分類されていたことに気付いたときにはそれなりにショックだった。わかっていながら現実を直視したくなくて逃げ続けた、そんな自覚があったからだ。
加えて、もうひとつ白状する。
正直に言うと僕は「外資系ブランドの店長」という肩書きさえあれば何とかなると思っていた。誰でも持てるものじゃないのは事実だし、頑張って掴んだものだから、それくらいの恩恵はあっていいと思っていた。
だけど違った。そういえば以前どこかで「人生そんなに甘くない」って誰かが言っていたけど、何と的を射ていることか。
この先に幸せはあるのかを疑問に感じた瞬間、それまで自分を守っていたはずの肩書きが途端にちっぽけなものに形を変えた。
店頭で身に付ける制服の購入は当然実費だし、スタッフたちとの飲み会は威厳を保つために負担。「店長もそんなに給料変わらないよ?」なんて夢のない台詞はアルバイトのスタッフたちには絶対に言わないようにしてきたけど、普通に生きているだけで赤字だった。
あんまりだと思ったけど、たしか「誰かにもらった肩書きは守ってくれない」とは学校の教科書には書かれていなかったから、ぜひ覚えておいてほしい。
そんな疑心暗鬼な精神状態は身体にも伝染するのか、僕は社会人としてあってはいけない失敗を犯す。当時、趣味で続けていた野球の試合中に右腕を骨折し、店頭での接客はおろか、裏のストック作業すらも手伝うことが出来ない状況になってしまったのだ。
特に咎められることはなかったが、皮肉なものでそれが逆に危機感を煽った。将来に不安を感じていた僕には「いくらでも代わりはいる」という無言のメッセージのようにも取れたし、現に店舗の営業に影響が出ることはほとんどなかった。
「会社のため」「自分がいなきゃ」と責任感を持って働く人も少なくない反面、自分という歯車が抜けても組織の仕組みは揺るがない。この事実に直面したとき虚無感に駆られるのは、きっと僕だけではないと思う。
さすがに辛くなった僕は気晴らしに身内に頼み、当時流行っていた「24(トゥエンティーフォー)」をTSUTAYAで借りてもらい一気見しようと試みたが、「ジャックバウアーが銃を構えている」くらいのストーリーしか頭に入ってこない現実は焦りを助長するだけだった。
この先も同じように働いていて幸せになれるのかという不安と、会社に必要とされていないように感じたときの無力感。
自信なんてものはゼロに等しく、木の葉が落ちる窓からの景色を見ては毎日落ち込んだ。家の前に公園があるマンションを選んだことを後悔した。
ただ、今となってはこのときの状況にすごく感謝している。人は変わりたいと願いつつも、何かと理由をつけて行動できない生き物だからだ。本気で「ヤバイ」と思ったからこそ僕は動けた。
ちなみに「動けた」と言っても大したことはない。ネットに疎かった僕が初めてAmazonを利用して、本を3冊買った程度の話。
「起業の心得」「社長になるために」のようなタイトルだったはずだが、正直、内容は何一つとして覚えていない。
ただその中に紛れ込んだ「輸出ビジネス」に関する一冊。単なる興味本位だったこの本との出会いを機に、僕の人生は大きく動き出すことになる。
結論から言うと、その本に書かれた内容では一銭も稼ぐことはできなかった。当時の僕には少し高度だったのかもしれない。ただ、「個人で稼ぐという選択肢」と出会えたこと。僕にはそれだけで十分だった。
それまでにも副業を考えたことはあったが、深夜のコンビニでのレジ打ちや日雇いのアルバイトしか思いつかず、「ネットを使って収益を得る」なんて、それこそ目から鱗だった。これなら会社にバレないとも思った。
そこから「ネットで稼ぐ」ことを検索し始めたのはごく自然な流れで、個人でもそのようなビジネスで生計を立てている人の存在を僕は初めて知った。
怪しいと思ったし、胡散臭いと感じたことも否定しない。だけど、同世代の人たちが自由な生活を送っているという、ネット上の情報が真実だとしたら自分もそうなりたかった。
いや、もっと言うと、ひと月に3万円でいいから稼ぎたかったというのが本音だ。
最初に出会った本が輸出だったから、それだけの理由で僕は物販ビジネスを始めた。関税や英語はわからなかったから、国内完結の物販を選んだ。いわゆる「せどり」と呼ばれる手法だ。
店頭で販売されている商品を、ネットで売って差益を得るだけのシンプルな話。それにネットの情報によると、ブックオフで売っている商品をネットに出品するだけで利益が出るらしい。
ここからはお察しの通り。そんな簡単な話ではなかった。
お店に出向いて調べても利益が出そうな商品など見つけられない時間が流れ、元々半信半疑だった心は早々に折れかけた。初めて行ったときは2時間のうちに少なくとも10回は「ああ、やっぱり嘘なのか」と思った。毎日の昼休みでとにかく追いかけたネットの情報によって、準備万端だったはずなのに。
だけど諦めがつかない僕は、数日後に挑んだ三度目のブックオフで遂に「自分で稼ぐ」という体験をする。
少しレジから離れた棚を調べ始めて20分が過ぎた頃、手に取った本のAmazon販売価格が1000円を示した。店頭の販売価格は250円。嘘かと思ってもう一度Amazonに打ち込んでも、同様に1000円を示している。
「本当にあった…!」微々たるものかもしれないが、興奮する気持ちが抑えられなかった。宝くじにあたったような気持ちになって、つい周りをキョロキョロと見回してしまう。もちろん、宝くじに当選した経験はない。
帰宅後に慣れない手つきで出品してみるとAmazonのページに僕の店舗名が表示され、これまた妙な高揚感を得た。最大手のショッピングサイトに自分が仕入れた商品が並んでいる。それだけでも僕には優越感があったし、感動すら覚えた。
そして数日後、僕の受信ボックスに「注文確定」というメールが届く。送信元はAmazonだった。何かのイタズラなのか、あるいは何か手順を誤ったのか。初めて受信したメールの意味を理解できずGoogleで調べてみたところ、「注文確定」のメールは商品が売れたときに届くらしい。
そう。僕が出品した商品が売れたのだ。
「…!!!」今すぐ誰かに伝えたい衝動に駆られたが同僚に副業のことを話すわけにはいかず、ひとり心の中でガッツポーズするに止めた。でも、1000円超で売れたその商品は600円ほどの利益になった。「ふくらはぎを揉め」という主旨の本だった。
たかが600円かもしれないが、カップ麺で昼を済ませていた僕にとっては相当な価値があった。何より、自分で稼げる世界を実感できたことが本当に嬉しかった。新卒の頃に初任給で両親に焼肉をご馳走したときとは別の快感があった。
この初体験で確信を持った僕は、ここから狂ったように毎日仕入れに通った。出勤前・出勤後、もちろん休日も。
飲み会を断るようになった僕が同僚の目にどう映っていたかなんて、そのときは考える余裕すらなかった。
大好きな女子に告白してオーケーの返事をもらったとき、あるいは試合でホームランを打ったとき。あの興奮に勝るとも劣らない感情が、僕を突き動かしていた。
副業にのめり込んでいった僕に、ネットはしっかりと答えをくれた。開始から4ヶ月後には月商が100万円の大台を突破したのだ。アパレルの個人売上で言えば年間3000万円以上あったけれど、特に昇給に関係するでもない。「すべてが自分に返ってくる」数字の価値は比較するまでもなかった。
ネットで売れる感覚が徐々にわかってきた頃、僕は取り扱う商品の価格帯を上げた。いち会社員の少ない資金力でも、売れる商品だけを仕入れることが出来るからさほど不安はなかった。
売れる確信を持って仕入れに踏み切れる、いわゆる「後出しじゃんけん」の戦い方ができるこのビジネスモデルは何て良いんだろうと今でも思う。
アパレルではどんなに優れたバイヤーでも長年の経験からの予測でしか判断できないのに、こっちの世界では素人でさえ「売れるか売れないか」のような50%の低確率な勝負はしなくて済む。
当然、思うようにいかず悩んだこともあったけれど、実践を重ねていく中でどんどん効率は良くなった。利益を確保するまでの時間は日に日に短くなった。
1000円の商品が3980円で売れた。
1480円の商品が4280円で売れた。
ちょっと勇気を出して仕入れた6450円の商品が14800円で売れたりもした。
自分の手で稼げる喜びは経済的な余裕だけでなく、精神的にも僕を満たしてくれた。企業の駒として埋もれ、自分の存在価値を見失っていた当時。その頃の僕にとって、ダイレクトに頑張りを認めてくれるような感覚は一番欲していたものかもしれない。
以前「頑張る場所を間違えたらダメだ」とイジメについて評論家がテレビで語っていたけれど、これは社会人も全員当てはまると思う。同じ人間・同じ能力でも、場所を変えるだけで見える世界はまったくの別物になる。
事実、半年足らずで副業収入は30万円を超えた。会社でいくら頑張ってもひと月1万円の昇給すら経験したことがなかったのに、つくづく平等な世界だと思う。
結果的に僕は、副業開始から約1年後に雇われる生き方を捨てた。
息子を心配する母は「えー、大丈夫なの?」「副業のままでいいじゃない」と現状を続けることを望んだけれど、僕は独立することを決めていた。自分の力で生きていくことに挑戦してみたかったし、「働き方を選べる」ということが嬉しくて仕方なかったからだ。
なんだかんだ「起業する」ということに理解を示してくれる人は少なかったから、「自分で決めたことならやってみろ」と背中を押してくれた父には本当に感謝している。もしもこの先、自分が親として同じような場面に遭遇したら、あの日の父がくれたような言葉を贈れる自分でありたい。
実際のところ、僕は起業して良かったと心から思っている。
紆余曲折はあったけれど物販ビジネスの収益を50万円、100万円と順調に増やせたのは、作業時間に比例する部分も大きかったように思う。自由度が高くなったことで新しいチャレンジができる機会も増えた。
だけど別に会社に勤めることが悪いわけではない。会社で働く人が一括りに「社畜」などと揶揄されるのはどう考えてもおかしい。
ようは「選択」の問題だ。自分で選んだ道を歩けているか否か。働き方が多様化し、自分で選択できる今の時代だからこそ、選択肢を広げられる力は持つべきだと僕は思う。
その方が圧倒的に幸福度が高いから。
経験なし、スキルなし、人脈なし、ビジネス素人の薄給アパレル販売員でも「自分で決められる人生」を手に入れられたことは声を大にして伝えたい。
あなたはどうだろう? 自分の選んだ道を歩けていますか?
先ほど「働き方が多様化している」とお伝えしたが、「何をやったら一番良いか?」という質問を最近頻繁にいただく。「一番良い」の定義が人それぞれなので一概には言えないのだけど、僕としては明確な答えがある。
それは、「自分がブランドになる働き方」をすることだ。
自分の存在価値を高めて「誰かに求められる自分」になること。それさえ出来れば、この先ご飯を食べていくことには絶対に困らないし、可能性は無限に広がる。
たとえば行列ができる天ぷら屋の職人さん。「あの人の料理が食べたい!」と思う人が多くなれば、もうその時点で勝ちだ。極端な話、お店を変えたってスキルは消えないわけで、熱狂的なファンがいればビジネスは成り立つ。
あるいは、最近では美容師なんかも働き方が変わってきた。お店に雇われるのではなくて、間借りして(店舗のスペースを借りて)自分を求めてくれる顧客だけを相手にすることで自由度が増している。
この辺りが「個の時代」と呼ばれる所以なのだけど、つまり、「自分」というブランドに価値を感じてくれる人=ファンがいれば商品(スキル)は売れる。高額でも関係なく売れる。
僕がひと月で500万円という収益を得られるようになったのもまさにそれだ。彼ら・彼女らを自分で「ファン」と称するのはやや気が引けるが、僕を求めてくれる人がいたからそんな大きな金額を手にすることが出来た。
また、自分をブランドにする働き方は「安定」にも通ずる。大企業に勤めてさえいれば安泰という時代はとうに過ぎ去ったけど、逆に言うと今では個人が安定をつくれるようになった。自分で自分を守れるようになった。
そんな強さを持てるメリットは計り知れないのではないだろうか?たとえ予期せぬアクシデントに見舞われても容易に再出発ができる、そんな強さを、少なくともアパレル販売員の僕は持っていなかった。
ファンと聞くと芸能人のような凄い人物にならなければいけないような気がするかもしれないが、そんな大それたことではない。当然僕も、芸能界の人気タレントのような知名度はまだない。
ただ、今の時代、そんな無名の個人でもブランドは創れる。なぜならインターネットの普及によって誰でも簡単に発信ができるようになったからだ。
誰もが自分の想いをWebで発信することができる今の時代、全国の人と思想や価値観で繋がれるようになった。「会社で頑張っても無駄で、報われない現実を抜け出したいです」といった相談が僕のような人間に寄せられていることが何よりの証明だろう。
周りに相談できる人がいないのか、発信から何かを感じてくれたのかはわからない。ただ、僕を必要としてくれた人がいるという事実は揺るがない。
そして僕は、個人で稼ぐ方法や起業の仕方を教えることができる。価値提供ができるということはつまり、ビジネスとして成り立つ。
ちなみに僕が発信するに至った背景には、やはり初めて読んだあの本の存在があった。名前も知らなければ内容も覚えていないけれど、確かに「新世界」への可能性を感じさせてもらったし、あの出会いで人生が変わった。だから、できることなら自分も誰かの人生を応援したいと思った。
結果、その選択は大正解だったと思う。発信をするようになってからは感謝されることが圧倒的に増えたし、人が本気で発してくれる「ありがとう」は何にも代えがたいものがあって心が満たされる。
それに自分を必要としてくれる人たちが新しい人生を手に入れる、そのための道をコンサルすることもできるようになった。
「一億総情報発信者時代」とも言われる今の時代、Webの力を利用しない手はない。それこそ、お金を掛けずに自分と近しい人を集めることができる。
臆することは無い。ドンドン自分という存在を発信しよう。芸能人のような知名度はなくたって「一歩先を行く人」であるだけで十分に価値のある存在になれる。
選ばれる自分になること。自分をブランド化していくことこそが、新時代の働き方だ。
「自分」という商品に価値を感じてくれる人を増やすために、積極的に発信することを心からオススメする。僕もそれによって人生が変わった。今、会ったこともない僕の書籍をあなたが読んでくれているのも、そのひとつと言える。
ただ、ひょっとしたら、ここまで読み進めてきて「自分には発信できることなんてない」「ブランドを感じてもらえる要素なんてない」と感じたかもしれない。
「そんなことはないよ。あなたは生きているだけで十分に価値がある」と伝えるのは簡単だが(実際にそうなのだが)、当時同じような不安を抱いていた僕にはまったく響かなかったので別の方法を伝える。
それは、己の価値を高める一歩から始めるということ。つまり、手っ取り早く「価値提供できる武器を持つ」ということだ。僕が物販ビジネスをオススメする理由はここにある。
たとえば僕が「個人がひと月に10万円稼ぐ方法を教えます」と言ったらどうだろう?その情報には価値を感じないだろうか?
すでにそれ以上の収入がある人には響かないかもしれないし、なんだか怪しいと敬遠する人もいるだろう。だけど、副業を始めた頃の僕は喉から手が出るほど欲しかった。また客観的事実として、「もっと稼ぎたい」「会社での給料だけでは足りない」という人は後を絶たない。
つまり、「お金を稼げるスキル」は大きな価値になるということだ。
ちなみにビジネスで結果を出しやすいのは4大ジャンルと言われていて、以下のようなものが該当する。
・お金に関すること
・健康に関すること
・コミュニケーションに関すること
・スピリチュアルに関すること
仮にあなたに長けているものがあれば、それを武器に発信していくのが良いと思う。反対に僕のように何もなかった場合、物販ビジネスから始めることをおすすめする。なぜなら「一番速い」からだ。
一般的に「価値」は個人の能力によって決まる側面が大きい。たとえばYouTubeに投稿される動画。クリエーターのスキルによって千差万別で、最高に心を震わせてくれるものもあれば、時間を返してほしいと感じるものまである。
すなわち能力が高い人が高い報酬を得る一方で、そうでない人は何も潤わない。
だけど物販は「商品」が動いてくれる。元々価値のある商品(モノ)を扱えるのだから、必要となるスキルを習得するまでの時間をショートカットすることができる。再現性・即効性に優れていると言われているのもそのためだ。
自分の収入を増やすことはもちろん、価値提供のための武器まで手に入る。難易度が低いアクションでこれだけ選択肢を広げられるのだから、ビジネスの入口として最適だと思う。
世の中では「やりたいこと」を優先して考える人が多いが、その大半が「収益性が低い」。つまりお金にならなくてコケる。そして「やりたいことでは稼げない」と夢を諦めたりするのだけど、言ってしまえば順番が反対なだけだ。
まず「お金になること」を前提として置いたうえで、やりたいことは後からいくらでも合流させられる。
だから最初にわかりやすい武器を手に入れよう。理想の未来は、その先にある。
「こんなギリギリの生活を続けていって、これから大切な人を守れるのだろうか?」
すべては30歳を目前にしたときの、あの絶望から始まった。
風呂にお湯を張ることを躊躇してシャワーで済ませた雪が降る夜も、たまの外食で最安値から選ぶメニューも我慢できた。
だけど、明るい未来を一切想像できない人生だけは本当に嫌だった。
何かと理由をつけて諦めて、楽しそうに笑う人を妬んで。「一生懸命やってきたのになんでだよ!」と、この先も見えない何かのせいにして生きていくのかと思うと、ただただ憂鬱な気分になった。
ひょっとしたら、あなたも同じような状況かもしれない。というか、今の日本には不満を抱いて生きている人の方が多いだろう。
正直に言って、僕には「世の中を変えたい」なんて崇高な想いはない。そんな影響力もない。
だけど、そんな名もなき個人でも人を幸せにすることはできる。家族・仲間・友人、もちろん自分も含め、大切な人を守ることはできる。
そのためには「自分の名前を名刺にして生きる」、そんな強さを手に入れる必要があるのだと思う。
個人でビジネスを持ち、起業して、発信した。
すごくシンプルだけど、ひと昔前であればハードルは何十倍も高かった。少なくとも僕が生まれた30年ほど前には、そんな生き方は一握りの人たちに許された特権だったはずだ。
薄給のアパレル店長がいくら大声で叫んだところで、その声が届くのはせいぜい野球場くらいの範囲でしかなかっただろう。
でも今は違う。新聞に載れなくたってテレビに出演できなくたって、僕たちの声は届く。インターネットの普及によって世界が近くなっただけでなく、僕たち名もなき個人の「成功」への距離も確実に近くなった。
そして実際に、自分の名前を名刺代わりに生きる人たちはリアルタイムで増えていて、その勢いはこれからもっと加速する。
だから僕はこれからもこの道を走り続けるし、伝え続けたいと思っている。
あなたはどうする?
一度きりの人生、腹を抱えて笑ったり感動して泣いたり。ときに怒ったって構わないし、もっと楽しく生きたっていい。やりたいことを我慢しなくたっていい。僕たちは、ただ息をするためだけに生まれてきたわけではないのだから。
あなたの人生がより楽しいものになるきっかけとして、伝わるものがあれば嬉しい。