井上直哉(@naoya1noue)
1986年生まれ、北海道出身。
初めてやりたい仕事を見つけてアパレルで働くも、将来が見えなくなり個人で物販ビジネスを開始。自分の手で生み出す収入が会社の給料の2倍以上になり2015年に独立。ゼロから個人で起業した経験を軸に、コンサルタントとして活動中。
【現在の仕事】
・物販事業(国内完結)
・ビジネスコミュニティ主宰
・Web集客コンサルティング
・メディア運営(このブログ以外の広告収入)
・起業コンサルティング
僕は大手外資系のアパレル企業を退職し、雇われない生き方を選びました。様々な事業に挑戦する一方で、同じ志を持った「本気になれる人生」をつくりたい仲間と日々成長しています。
いち個人がこんな生き方を始めたきっかけを、少しだけお話しさせてください。
将来なんて、知らない。

僕は小さい頃から将来の夢には「プロ野球選手」と書いていて、小学生から高校まで野球を続けてきました。中学3年のとき全国ベスト8を経験したり、甲子園には出られなかったものの運良く雑誌に名前が載ったりもしました。
高校も野球だけで決めたようなものだし、「野球一筋でやってきました!」と言えばそれなりに聞こえは良いのかもしれません。
でも当時を振り返ると、ぶっちゃけ将来の夢とか無かったんですよね。
高校入学くらいに「あ、俺はプロになれる器じゃないわ」と気付いていながら、やりたいことが一向に見えてこない。絶対なにかやってやる!みたいなことは薄っすら思っていながら、その「なにか」が全然わからない。
美容師とか体育教師とか、あるいは公務員とか。
周りの友人が将来を語る姿を見て「正気か?」とすら思ったし、割と本気で「なあ、やりたいことってどうやって探したの?」と親友に聞いたこともあります。
進路希望の紙も白紙で出すことしか出来なくてネタみたいになってたけど、当時はマジでわからなかったんですよね…!
なんで俺だけ何もないんだろう?とコンプレックスを抱きながら、とりあえずカラオケで現実逃避する日々。
あの頃の僕にとって「将来を考える」というのは、普通に野球の練習よりしんどいものでした。
あと40年「なんとなく」でいいのか?

そんな中途半端な気持ちで就職したにも関わらず、営業職として初めて入社した会社は非の打ち所がないくらいの会社でした。
当時の同級生の中ではダントツで待遇も良かったし、何より先輩が優しい人ばかりで。そりゃあ合わない上司がいてグチったりもしたけど、こんなに温かい人が集まる会社はそうそうないだろうと今でも思います。
一方で、二十歳を過ぎた頃に思ったんです。
「一度きりの人生、このまま終わっていいのか?」と。
熱中できるものもないまま「なんとなく」あと40年をやり過ごすことを思うと、たまらなく憂鬱な気分になりました。
学生時代が人生のピークとかありえない。
もしかしたら、同じようなことを考えたことがある人も多いんじゃないでしょうか?
友人と飲みに行ったとき、高校時代を「現役」として語る自分が嫌いでした。昔の話を自慢げに語る上司は超ウザかったけど、あと何年かしたら自分もそうなるような気がして不安でした。
そんなとき、社員旅行でハワイへ行く機会があったんですよね。
自由時間に海外ブランドの路面店で買い物をしたことが、僕の人生の転機になります。
と言っても、ハットの試着を勧められ「いや」と言ったのが「YEAH!」に聞こえたらしく、接客してくれた美人なスタッフを断る勇気も語学力もなく購入しただけなのですが…!
このブランドを扱うショップがどうやら北海道にもあるらしいと知ったところから、一気にファッションへの情熱が高まりました。
ハワイで美女に接客されてブランド品を買うという、ビックリするくらい単純な動機で。
やっと見つけた、将来の夢。

唯一とも言える「ファッション」の趣味が出来たことで、退屈だった社会人生活はすこし面白くなりました。
ファッション雑誌を読み漁り、給料が入ればお気に入りのショップへ買い物に行く。そんなルーティーンは新鮮で楽しかったです。
ただ同時に「もう一度、本気でなにかに打ち込みたい」という想いも日増しに強くなっていったんですよね。
仕事にそんな不満はないし安定もしてる。でも自分の可能性はきっとこんなもんじゃない!みたいな葛藤とはいつも戦っていました。
また当時からスラムダンクが好きだった僕は、桜木花道が「俺の栄光時代は今なんだよ」と、今この瞬間に全力を懸けるシーンが妙に響いたりもして。
本気で生きてない人生ってつまんねえな。
そんな劣等感を覚えはじめた頃、ファッション業界で仕事がしたい!と思い始めたのは自然な流れだったように思います。
好きなことは仕事にしない方がいい。アパレルは給料が安いから辛い。みたいな話は何十回も色んな人に言われたけど、初めてみつけた「やりたい仕事」を諦める理由にはならず。
3年半在籍した会社を辞めて、アパレル販売員への転職を決めることになります。
学生時代に夢を語れなかった分、「みんなこういう感覚だったのか…!!」と、ようやく追いついたような気持ちになりました。
やりたいことの先にあった絶望

初めて見つけた「やりたい仕事」への転職を決めた僕は、今のご時世では珍しいほどやる気に満ち溢れていたと思います。
面接の書類審査すら通過しないという、未経験の素人に対する厳しい現実もあったりしたものの、アルバイトを経て1年半ほどで意中のブランドへ入社。
やりたかった仕事はやっぱり楽しくて、個人売上も普通に伸びてTOPになれました。
その後23歳で百貨店のインポートブランドで店長になったときには「やれば出来るんだよな、俺は」と天狗になったし、人生勝ち組のような優越感に浸ったことも否定しません。
天職というものが仮にあるとするなら、これなんじゃないか?くらいには思ってたし、一生続けられるとも感じていました。
ただ、現実はそんなに甘くなくて。
20代後半に差し掛かった僕は、見て見ぬフリをしてきた経済的な問題に直面します。手取り約15万円で制服は実費。あの頃の僕は普通に生きてるだけで赤字でした。
原動力となっていた「店長」の肩書きも、時間の経過と共に効力を失っていく始末。
一着数十万円の高級スーツを店頭で扱う一方で、昼休みは「うまい棒」1本しか買えなかったりもしました。
華やかなイメージと裏腹なリアル、こんなの想像できますか…!
地元の同窓会に出たときに「百貨店で店長やってるの?凄くね?」みたいな反応は気持ち良かったけど、コンビニで130円のカフェオレさえ躊躇する現実とのギャップは虚しさを助長するだけでした。
自分のお店を持ちたいなんて夢は実現できる気配すらなく、僕が出来たのは嘆くことだけ。
「せっかくやりたいことを見つけたのに酷くないか?」
「人生って一生なにか我慢しないとダメなの?」
自分で選んだくせに、不甲斐ない現状を本気で誰かのせいにしたいと思ったのもこのときです。
実際に経済的な理由から30歳前後で転職する人も多くて、昼休みにコソコソと転職サイトを眺める日が増えていきました。
正論じみた言葉なんて聞きたくない

転職サイトを見ながら「他の会社でいちスタッフからまた始めるのも嫌だな…」なんて思っていた秋ごろ。
僕は当時、趣味で続けていた野球の試合中に右腕を骨折し、店頭での接客はおろか裏のストック作業すら手伝うことが出来ない状況になってしまいました。
腕を吊った状態でまともに動くことすらできない自分を鏡で見ては、激しい自己嫌悪に襲われる毎日。
好きな仕事で困窮して、好きなことをやって怪我して。
「自分の店」なんて叶わない夢を語ることすらいよいよアホらしくなったし、「やりがいと収入はどっちか捨てるしかない」みたいな誰かの正論じみた言葉を必死に飲み込もうともしました。
だけどそんな状況でも、自分の可能性を自ら捨てることだけはしたくなかったんですよね。
何かにすがりたい、ただそれだけの気持ちで初めてAmazonを利用して本を3冊買います。さすがに何かしないとヤバイという焦りが膨らんできて、なんとなくネットを見ていて気付いたらポチってた感じで。
「起業の心得」「社長になるために」のようなタイトルだったはずですが、正直、内容もなにも覚えていません。
ただその中に紛れ込んだ「輸出ビジネス」に関する1冊。この本との出会いを機に、僕の人生は大きく動き出します。
同世代に人生を超楽しんでる人がいる!

最初から「輸出で稼ぐ」という内容に興味があったわけではなく、この本に書かれていたノウハウでは一銭の収益すら上げることは出来ませんでした。当時の僕には、ちょっとハードルが高かったようにも感じます。
ただ、その内容も覚えていないこの1冊も、きっかけとしては十分だったんです。「こんな世界があるのか!」と、本気で胸が躍ったから。
そこから「ネットで稼ぐ」ことを検索し始めたのはごく自然な流れで、個人でもそのようなビジネスで生計を立てている人の存在を僕は初めて知りました。
しかも20代後半から30代といった自分と同世代の人たちがたくさん活躍していて、普通に自分の年収の何倍もの収益を得ている…。
「人生このまま終わるのだけは絶対に嫌だ」
と常々思っていた僕にとってこれ以上の光はなかったし、形は違えど、捨てかけた独立の夢もひょっとしたら叶うかもしれない。
ぶっちゃけ疑う気持ちもなかったわけではありません。
でもこのチャンスを自らスルーなんてことは到底考えられず、僕は真剣に個人でビジネスに取り組むことを決意します。
これでダメならもう「俺は出来る」なんて思わないと決めて。
小さな起業はすべてを変える

きっかけが輸出ビジネスの本だったこともあり、僕が始めたビジネスは「物販」でした。輸出は難易度が高いと判断したため国内物販に着手することに。
調べれば調べるほど即金性・再現性ともにピカ一のビジネスだと思えたし、とにかく「すぐにお金を増やしたい」状況にある自分のような人は絶対にゼロにはならない。
そう考えると、ゼロからイチを作り出す段階において、とてつもなく価値が高いスキルのように思えたからです。
これまでアパレル販売員としてバイヤーのような業務をしていたこともあり、割とすんなりビジネスモデルは理解できました。
加えて、初めて参加したビジネスコミュニティーには最近独立を果たした先輩もいて、「頑張れば自分もそうなれる!」と確信めいたものがあったのも大きかったです。
それからは、すべての時間を物販ビジネスに費やすことに。
どうすれば安く仕入れられるか、どうすれば高く売れるか、どうすれば効率よく利益を膨らませられるか…。
そんなことに四六時中アタマを使っていたら、半年ほどでひと月の収益が30万円を超えるように。
本業の休憩中、通帳を記帳しにいって口座残高を確認するのが楽しくて仕方なかった気持ちは今でも忘れません。
スマホを見るたびに「おおお!また売れてる!!」と興奮して、ドンドンのめり込んでいきました。
個人が勝てるフィールドは確かに存在していて、全力で打ち込むことで人生はもっと楽しくなる。
もう一度本気になれる人生は、起業でつくればいいんだ。
全力を傾ける価値がある仕事の存在を知った僕は、ビジネスを始めて1年足らずで独立を果たし、新しい生き方を始めました。
待つんじゃない。勝ち取るんだ。

物販ビジネスで独立できた僕は、当時の自分と同じように「本気になれるものが欲しい」「人生このまま終わりたくない!」と思う人たちにビジネスを教える事業もスタートしました。
また現在は、Webメディアの運営や個人事業主のプロデュース、メルマガを活用したオンラインコンテンツの販売なども手掛けるようになりました。
主宰しているコミュニティでは定期的にセミナーや懇親会で集まったり、起業家を育てる場所としてマンツーマンでコンサルティングしたりしています。
実際のところ、独立して人と話す機会が劇的に減り、「仲間が欲しかった」というのが始まりなのですが…!エネルギーに溢れるメンバーが集まってくれて、今の仕事が楽しくて仕方ありません。
20代半ばで独立したり、主婦がポンと新車を買ったり、サッカーを観るためだけに海外に出掛けたり。
それぞれ背景は違えど自分の足で立ち上がり、もっと楽しい未来を創りたくて頑張っている。
本気で今を生きる個性的なメンバーが揃っていますが、個人で戦おうとする心意気って最高だと思うんですよね。
自分の人生でガッツポーズできる快感は、本気で走った人間にしか味わえない。
「直哉さんのおかげで人生が変わりました!」
「直哉さんはわたしの恩人です!」
みたいなことを言ってもらえるのは心から震えるし、こんな自分を必要としてくれる人がいるかぎり、僕も全力で走り続けたいと思っています。
もう一度、本気になってみない?

野球の夢が断たれたときも、アパレルの現実に直面したときも、追い掛けた肩書きが何にもならなかったときも。
「もっと本気になりたい」
諦めかけたときいつも根底にあったのは、この想いでした。
実際にありえないほど楽しそうに生きてる人がいるのに、自分だけ不可能なはずはないし。いつかきっと…!みたいな気持ちが、心のどこかにずっとありました。
「自分はこんなもんじゃない」「本気出したら未来は変えられる」だなんて、きっと誰もが一度は思ったことがあるはずで、あまりにありふれた妄想なのかもしれません。
でも、その気持ちに正直に向き合ってる大人って絶対的に少ないと思うんですよね。
頑張っても報われなかった過去や大衆の意見によって、本音に蓋をすることが当たり前になってるとか。自分の素直な気持ちを真っ直ぐ見れなくなるのはよくあることです。
ただ、僕が声を大にして伝えたいのは、「本気で頑張った人が成功を掴める道は確実に存在してる」ってこと。
現に僕の周りはいつも腹を抱えて笑ってる人ばかりですが、みんなしんどい時期に本気でもがいた人なんですよね。
だからまずは本音に耳を傾けて、新しいこれから掴みにいきましょう。
その一歩目になれるよう僕も本気で発信していきますので、ヒントになるものがあれば嬉しいです。
