無意識のうちに人に期待して裏切られたような気分になり、疲れて落ち込んでしまう。そんな気持ちになったことは少なからず誰でも経験があるのではないでしょうか。
僕自身も「他人に期待しても仕方がない」という言葉で心を落ち着けようとしたことが何度もありますが、「人に期待しない」って、言うほど簡単じゃないと思うんです。よし、期待するぜ!なんて意気込んでそうなっていることばかりじゃないというか。
とはいえ期待するだけして、だだ漏れになってしまうエネルギーは絶対にもったいないですよね…!
そんなジレンマを解消するべく考えた行動について、今日は書いてみたいと思います。
期待して疲れることに疲れた。あの落胆を思い出すとモヤモヤする。あるいは現時点で悶々としている、などといった方の参考になれば幸いです。
人に期待しないのは難しい
会社で部下に頼みごとをしたら、求めていたクオリティーの50%にも満たない書類が上がってきた。今日こそは少し食器を洗っておいてくれるかな?と帰宅してシンクを見たら、触られる気配すらなくしっかりと朝の光景をキープしていた。
言い出せばキリがないほど、僕らは生活の中で「期待通りにならない場面」と遭遇しますよね。期待するだけムダだね~なんて言葉が飛び交うのも、特段珍しいことではないように感じます。
人に期待しない方が穏やかにストレスなく過ごせることはきっと確かなのでしょうが、僕はそんな意見を聞くたびにいつも思っていました。こっちも期待したくてしてるわけじゃねえわ、と。
学生時代、好きだった女子が他の男子と話しているのを見てヤキモチを妬いた自分は若くてかわいかったと思いますが、その際に友人からかけられた「嫉妬したって仕方ないじゃん!」という言葉の意味は未だに不明です。嫉妬しなくて済むのならそうしたかったよ。
こんな感じで「普通に言われる無理難題」ってたくさんあると思っているので、その1つである「他人に期待しないこと」に関して現時点で思うことをお伝えさせてください。
ひとまず、期待しないって難しいよね、という大前提のもとに進めていきます。
期待されている側に立ってみる
どんなシチュエーションにおいても、もちろん期待せず淡々とやることが大事なのはわかるのですが、どうしてもゼロにすることは難しかったりしますよね。
ただ、とはいえ心理的ダメージを受けるのも極力避けたいわけです。「他人に期待しても仕方ない」「あまり気にするのはよそう」と、どこかで折り合いをつけようと必死だったりするわけです。
だから僕は、その「自分が期待を寄せる人」のカテゴリーに「自分自身」も突っ込むことにしました。自分も誰か(自分なんですけど)に期待されている、と思うことにしました。
※下図参照(伝わるのかこれ…!)
ようは自分も期待される側にいる、という設定をでっち上げたということなんですけど、そうすることによって「あくまで自分にフォーカスする」ことができるんじゃないかと思ったんですよ。
どうしても敵対関係のような感じになりがちな構図を、まず並列にしてみたかった。
結果、期待される側に立つと見えてくることもたくさんあるんですよね。
- 行動できないと申し訳ない気持ちになる
- ときに物凄い無力感に襲われる
- 突如として自信が消えそうになる
なにか出来ないことがあると自己嫌悪に陥りそうになりつつ、かといって期待されなくなるのは嫌だという、小3でも言わないようなわがままを発症しました(爆)
ただ、「期待するだけ無駄だ」とか「期待なんて疲れるだけ」という思考に偏っている場合には、こうして降りてみるのも結構有効なんじゃないかと思います。
特にリーダーや先輩・上司などの立場にいると、無意識のうちにめっちゃ上から相手をみていたりするものなので。
本当に期待しなくなれるまでやろう
期待して疲れることの何が問題かって、相手(他人)はコントロールできないという点に尽きると思います。
言い方を変えると、コントロールできないことにエネルギーを使うから疲れる。だったら自分に意識を向けようぜ!というのが上で言いたかったことです。その方が、圧倒的に気が楽ですから…!
そもそも100%の人間なんていないわけで、相手の立場で物事を見れば少なからず、自分がやるべきこと・自分がもっとできることが出てきます。
たとえどれだけ優れたスペックの持ち主だったとしても。
ここであぶり出した「もっとできること」を実行すれば、その過程は自身のスキルアップにも繋がっていきますし、ただがっかりしてエネルギーを無駄にする必要もありません。
加えて、そこまでやってダメならいよいよ「仕方ないな」という、本当に期待しないゾーンに入ることが容易になります。
これが意外と大きいんじゃないかと思っていて、期待しないということが実際に可能だとしたらこのタイミングなんだろうなと。
さすがにここまで来ると「情」もないので出来ればあまり経験したくないですが、「なんでやらないの?」「やる気あんの?」という傲慢な問いかけを繰り返してストレスまみれになるよりはずっとマシだと思います。
期待してイライラする心の裏側
ぶっちゃけ僕は、過度に人に期待してしまうときには心の裏側に「俺はこんなにやってるのに!」という感情がありました。おそらく同じような感情に駆られたことがある人は多いと思います。
だからその「こんなにやってる」のレベルがまだ低いんだろうなと。改善の余地があると考えるようにしたことで、心がすごく軽くなったんですね。
期待することは悪いことではないです。自分も誰かに期待してもらえるような人間でありたいと思っています。ただ、「期待されてる」ということがポジティブな意味合いで受け取れないタイミングも少なからずあるということ。
そこに輪をかけるように「なんでやってくれないんだよ!」という空気を感じたら、ただただお互いに息苦しくなってしまいます。
独りよがりになって相手へのもどかしさだけを感じていては本当に力が出なくなってしまうので、自分に目を向けていける体制は整えていきたいですね。
最後に
実際のところ、「期待しなきゃよかった」と思うことって絶対にゼロにはならないと思っています。というか、今のところ僕は、誰にも期待しない生き方を出来る気がしません(笑)
ただどこまでも自分の責任にしておいた方が気持ちがラクですし、そういう姿勢で取り組んでいると、仲間やメンターに悩みを相談したときに「え!そこまでやってんの!?」という反応がもらえてきたりもします。
そのときって心が救われて頑張りが報われる上に、自分自身のレベルも以前と比べて格段に上がっていて、提供できる価値だって、より大きなものになっているはずです。
また、アップデートされた自分にはちゃんと新しい出会いが用意されていると僕は信じているし、これまでを振り返ってもそうだったように思います。
人に期待して疲れるそのエネルギーを自分に回せば、僕らはもっと凄くなれる。
少しの工夫だけで得られる未来はまったくの別物になると思うので、ひとつの考え方として参考になれば幸いです。
まあ、ざっくばらんにそんな話をできる仲間さえいれば基本的にはハッピーなのですが(笑)
そっちに広げると話が脱線しそうなので今日はこの辺で。また書きます!