なにか真剣に取り組みたいことがあっても自分自身でストップをかけてしまったり、本気で生きるために何をすればいいの?という疑問を抱いている人は少なくありません。
本気になることが出来ればもっと人生を楽しめるんじゃないかと思ってはいても、傷つくことを恐れて本気になれないという意見もありますよね。
ただ僕自身もそうだったのですが「本気になりたい」と心のどこかで思っているときって不完全燃焼の自覚があるし、そのままそれなりの人生を送った結果、「あのとき本気でやっていれば…」なんて後悔したのでは笑えません。
そこで今回は「本気になるために考えること」を記事にしてみますので、新たに走り出すための参考にしてみてください。
本気で生きる人生は最高に楽しい
楽な人生はそれなりの成果しか得られない
目の前に2つの選択肢があったとき、成長できるのはこっちだと感じていたとしても多くの人は楽な道を選ぶわけですが、そういった選択を繰り返した結果「こんなはずじゃなかったのに…」というような感情にぶつかることも少なくないのではないでしょうか。
ただ学生生活や部活など、過去に本気で生きた経験がある人って絶対に一種の物足りなさを感じながらいると思いますし、本気で生きてこそ真の楽しさがあることも知っているんですよね。
言い方を変えれば、楽な道だけを行けばそれなりの結果にしかならないことも潜在的にわかっているでしょうから、心の底で「本気になるために何が必要なのか」を考えることは必然なのかもしれません。
死ぬ覚悟までなくていい
本気で生きることを考えると、どうしてもこういう言葉が多く使われがちです。
「死ぬ覚悟でやれ」
「どん底を味わうべきだ」
それこそ「火事場の馬鹿力」という言葉があるように、確かに人間は追い込まれたときに力が出るということは間違いないでしょう。
でも僕も「本気で生きたい」とは思っていたし、起業するために必死で頑張った時期も当然あったものの、死ぬ覚悟まであったかというと正直疑問です…。
ベストセラーになった箕輪編集長の「死ぬこと以外かすり傷」という書籍も本当に勇気をくれるものでしたが、あれも別に「死」を強く意識させる内容ではないですしね。
「本気で頑張る」というとオウム返しのように「死ぬ覚悟あるのか?」みたいなことを言ってくる人もいるけど、言いたいことはわかるけどさすがに極論すぎると思う。
参考:人生諦めるのは自由だけど、自分に対して失礼すぎないかい?
本気で生きるために考える3つのこと
辛さも責任もない人生はつまらない
本気で生きるためには辛いことや責任というものも避けて通れないでしょうが、これって考え方次第だと思っていて、辛いことも責任もない、アップダウンのない人生はマジでつまらないと思います。
キングダムの主人公である「信」がまったく壁にぶつからずに大将軍になるストーリーなんて誰が面白いのか?
また、部活だってあの苦しい毎日の練習があったからこそ、最後の試合で流す涙があんなにも美しいのではないでしょうか。
最近では起業家仲間と過ごす時間が増えましたが、彼ら(彼女ら)と話していてすごく面白いのは、それぞれが苦境を乗り越えたり責任と隣り合わせの中で掴んだ自由を謳歌しているからだと思います。そこには確かに「美学」が存在しているから。
人の本気で人は動かされる
これはつくづく感じていることなのですが、人を動かすのは人の「本気」を感じたときなんですよね。誰かに影響を与えたいときや想いを届けたいとき、自分が本気じゃないとまず相手には伝わりません。
会社の会議なんかはすごくわかりやすい例で、
・上からの指示だから
・マニュアルで決まっているから
というような事柄って驚くほど人に伝わらない(笑)
反対に「ワンピース」のルフィーは本気でやっているからこそ、その熱量が伝わって仲間がついてくるわけで、本気で生きる人の近くにはそれに呼応するように素敵な人が集まるのは当然のようにも感じますね。
僕は周りに「疲れた~」「つまんねえ~」が口癖の人たちは集まってほしくないし、「よっしゃ、やるか!」「絶対できるな、それ!」と前向きな話をしたい。
本気で生きるために考えていることって、意外とそんな本音に正直になることが大半を占めるのかもしれません。
参考:人生やり直したい20代へ|過去のリセットは1ミリも考えなくていい
今の生活で時間(マインド)を占めているものは何か?
最後はちょっと逆説的な思考で、生活の中で多くの時間を占めている物事や常に頭にある事象に対して真剣になれたら、本気で生きることに繋がりやすいよね?と。
たとえば、学生時代を思い返してみると「体育祭」ってあったじゃないですか?
活躍してただ目立ちたかったのか、隣のクラスの恋敵に絶対に負けたくなかったのか、当時の想いは今となっては定かではありませんが、体育祭の練習をしている時期ってそのことだけが頭の中を占拠していました。
また、社会人になってからは基本的に仕事といつも隣り合わせであるために、「仕事」が時間も思考も多くの割合を占めていた。これに関しては、同じような人は多いと思います。
そう考えたときに、今の自分に対する比重が大きい物事に本気になれたら自ずとそれが「人生を本気で生きる」こととイコールになっていくんですよね。
だから自分の時間や思考を占拠しているものに全力投球していく。
・仕事
・恋愛
・趣味
もちろん時と場合によって違ってくると思いますが、本気で生きるための方法としては非常に効果が大きいと思います。
参考:仕事で本気になりたい人必見の方法|やる気なんて今すぐ捨てたらいい
本気で生きずに楽してそれなりで本当にいいの?
一度きりの人生なのに?
人生一度きりとよく言いますが、それを意識している人はどれくらいいるのでしょうか?
大半の人は本気になれないまま雑に時間を使い「本気を出せばできる」と根拠のない謳い文句を盾にして自分を守ります。かつての僕が完全にこのパターン。
自分でビジネスをするようになった今では「仕事が楽しくて仕方がない」という、過去の自分では想像もできない現象が起きていますが、一度きりの大切な人生があのまま「やり過ごす」ことだけになっていたときを振り返るとゾッとします。
「本気にならなくていいわけがない」
「それなりで終わっていいわけがない」
僕はそう思います。本気で生きた方が、なにかと気持ちが良いから。
疲れない、傷付かないが人生の目的じゃない
本気になれない理由、あるいはなりたくない理由を考えたときに「疲れる」とか「傷付きたくない」という意見はよく聞くんですけど、そもそも疲れず傷付かないで過ごすことって人生の目的ではないと思うんです。
どんな人生を送りたいですか?という問いに対して「楽しい人生」でも「好きな人と過ごす人生」でもなく「ただ疲れない人生を送りたいです」という人が仮にいたとして、そういう人はこの記事を読んでいないです、多分(笑)
だとしたら本気で生きるために何をするべきかは、誰に言われるでもなく自ずと見えてくるのではないでしょうか。
参考:人生を好転させる方法|前兆やきっかけなんてひとつも探さなくていい
最後に:本気で生きてこそ得られるものを掴もう
本気で生きていると、思い通りにならないことや辛いこともあります。別にドMでも何でもないのに自らを追い込んでいたりするときも少なからずあって、正気なのか心配になるときもあります。
でもやっぱり考えられないんですよね、残り40年・50年という自分の人生をそれなりにやり過ごしてこの世を去るって。寂しすぎるし、あまりに退屈だ。
ちょっと話がそれますが「オタク」ってひと昔前では「キモイ」の代名詞のような扱いをされていて、チェックシャツにリュックといった服装で「電車男」のようなイメージが強かったじゃないですか。
電車男はすごく好きだけど、あのころ確かにオタクは小ばかにされるような存在でした。今や国民的アイドルとなったAKBが鼻で笑われていた時代も記憶に新しい。
だけど数年が経った今では「オタクになれば稼げる」とまで言われていて、むしろ何にものめり込めない人の方が危惧されていますよね?
僕はこの背景には絶対に「本気」が関係していると思っていて、オタクは興味があることに対して一直線なんです。どこまでも真剣なんです。
アイドルオタクにしても鉄道オタクにしてもアニメオタクにしても、「本気」が「文化」を創り出した。
僕はそう思います。
本気で生きることは尊い。
命ある限り、人生を本気で走っていきたいですね。
月収15万円⇒月収500万円
僕は現在、物販ビジネスで起業したのち法人も設立して「仕事が楽しくて仕方がない…!」という数年前では考えられなかったような毎日を送っています。
会社に雇われなくなり、月収500万円という世界も経験しました。
この生き方を掴めたのは「最速で稼げる物販ノウハウにより副業収入で本業を余裕で超せた」からです。
「人生を変える」なんて1ミリも信じたことがなかったけど、30歳を目の前にしてスキルも人脈もゼロの状態からの起業は実際に可能でした。
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