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あの日あの場所にいることができた僕は





こんばんは、井上直哉です。

ノドが完全にやられて声が出ません。

 

忘年会が楽しくて騒ぎすぎたからだろう?
⇒はい、そうです。

健康への意識が足りないからだろう?
⇒はい、その通りです。

クリスマスにストーブが壊れたからだろう?
⇒はい、これが大きいです。

 

よく言う「体調が悪い」とか基本的に気のせいだと思っていますが、出張から戻った昨晩はさすがにぶっ倒れてしまいました。。

 

自己管理できないなんて経営者として失格だ!

なんてことも言われるのでしょうが、ぐうの音もでないほど正論。

でもそんな完全無欠な人間でいたくて個人事業主になったわけじゃありません。

 

この状況で何を言っても強がり感がハンパないですが…

ネットビジネスという職業に改めて感謝した次第です。

 

ロクに喋れないし痛くて喋りたくないし、身体も思うようには動いてくれないわけで本当どうしようもない状況なのですけど、

布団の中で感じたこととしては

「これって自分以外にもありえるよな」

と。

 

昨日のメールでも書いた

「不安は必ず具現化する」

という話そのままで、自分に何かあったときに収入が止まってしまう。

 

店舗せどり一本でやっていたときに漠然と感じていた恐怖が、今まさに自分に降りかかっている感じです。

 

たかがカゼだろう。と言えばそれまでだけども、

「仮に今日が仕入に行く日だったとしたら」
「仮に自分が納品しなきゃいけなかったら」

今日、なんにも仕事が動きません。

 

イマイチやる気が起きない…

という類のものだったらいくらでもどうにか出来ますが、精神論で片付かないこともたくさんあると最近はつくづく感じています。

 

だって、

29日:最終仕入
30日:最終出荷

みたいなスケジュールを立てた年は普通にありましたから。

 

「俺、この体調で店舗行けるのか?」

そんなことを思いながら窓から外を見たら普通に吹雪いていて、ちょっと考えただけで気持ちがゲンナリしました。

 

こんな日にも自動でアクセスを稼いでいてくれるブログの有難さも染みる。

1つの収入源に依存する弊害は想像以上に大きいものだと感じずにはいられません。

 

・身体がやられるのが先か
・精神がやられるのが先か

そんな勝負は絶対に挑んではいけないと思う。

 

ということで、今日の本題はここからです。

 

あまり人に話したいことではありませんが、やっぱり言わないと伝わらない気がするし、読者様には知ってほしい。

 

僕が転売だけでなく

・オウンドメディア構築
・自動収益
・複数キャッシュポイント

というものを今これだけ推している理由。

 

月収500万円を達成した11月のはじめ

僕は、大好きだった祖母とお別れをしました。

 

92歳。

 

よく元気でいてくれたし、一般的に考えても長寿でしょう。

 

母方の祖母なのですが

「孫だからと言って甘やかさない」

というタイプで、よく叱る厳しいばあちゃんでした。

 

母からメッセージが届いたのが10月の末。

 

「婆ちゃん、昨日、入院した。
あと1週間か、2週間だって。」

「心の準備を。」

 

確かに前回会ったときにもちょっと元気がなかったかな?

そんなことを考えながらすぐ母に電話すると、メッセージにあった通り「そこまで急を要する話ではない」と。

でもその時は確実に近付いているから、と。

 

すぐに地元へ帰ろうとする僕を

「そんな急がなくても大丈夫」

と止めた母親はおそらくそう信じたかったのだと思う。

 

だけど僕は、そのメッセージが届いた日の夜に、車を走らせて片道3時間の地元に帰ることにしました。

 

状況を説明したときに

「行きたいんでしょう?
だったら今行った方がいいよ」

そう言って着いてきてくれた妻にはすごく感謝している。

 

なぜなら、ばあちゃんは次の日にこの世を去ったから。

 

夜中に実家へ到着し、翌日の昼にお見舞いへ向かうその車内で助手席に座る母の携帯電話が鳴った。

内容は聞こえなかったけれど、嗚咽をもらす母親の様子を見れば状況は理解できた。

 

アクセルを強める僕に母は一言だけ「先に玄関で降ろして」と言った。

どしゃ降りの中、走っていく母を追うように僕も車を駐車場に停めて急いだ。

 

病室には4姉妹が揃っていて、末っ子である母親はギリギリ「最期」には間に合ったらしい。

泣きじゃくる叔母さんたちの中で触ったばあちゃんの手には、まだしっかりとぬくもりが残っていた。

 

 

思いきり泣いたあとに思ったのは

「こういうことだよな」と。

 

僕がビジネスを頑張れる理由。

個人事業主として生きる意味。

 

たくさんいる親戚のなかで、僕一人だけがあの日あの場所にいられた。

 

もう会えないし話も出来ないのはただただ悲しいです。

でも、親戚たちはどうか知らないけど、僕はばあちゃんの最期に「後悔」はない。

 

もっと会いにいけば良かった。

もっと話しておけば良かった。

 

そんな想いは当然あるけどそれよりも、

 

大切な人の大切な瞬間に一緒にいられた

 

自分を認めてあげられる数少ないときだと僕は思います。

 

実際のところ、母方の親戚は皆「安定」を大事にしていて、僕が選んだ起業という道はどうしても少し特殊なので、あまり仕事の話をすることはありませんでした。

どうやら祖父が過去に、起業した友人の連帯保証人になったことに起因しているらしい。

 

さすがに詳細は伏せますが

「そりゃあ皆そうなるわ」

という話で、むしろ祖父の偉大さに驚く気持ちしかないレベル。

 

だから僕の仕事も良く思われなくて(思えなくて)当然。

 

また今でこそなくなりましたが、起業してすぐのときなんか母親は

「ここはどう?」
「○○の会社が…」

と、わざわざ求人情報を送ってきたりもしていたくらい。

 

子を心配する親心

として受け取れなかったことも正直何度もあります。

 

「うるせえよ」と。

 

母親に心配をかけたいわけではないし原動力になったことも確かなので感謝していますが、通夜の夜の会話を僕は一生忘れません。

 

叔母
「むっこ(母)、直哉がこの仕事で良かったね!」


「…うん。初めて思った~~」


「なんで初めてだよ!」


「ハハハハハ!」

 

よくわからないけどこのとき涙が出た。

当然、ごまかしたけれど。

 

俺は間違ってなかった。

このビジネスは素晴らしい。

 

改めて、そんな風に思うことが出来たんです。

 

結局のところ

幸せのカタチや定義なんて人それぞれで、押し付けられるものでも何でもありません。

 

・自分の進むべき道
・自分が進みたい道

好きなように選択していけばいいのだと思います。

 

ただ、だからこそ、

「大切な人との時間」

を好きなときにつくれることの尊さはぜひお伝えしたいと思いました。

 

僕たちは一度きりの人生を生きていますが、それって決して自分ひとりではなくて。

 

忙しい毎日に追われてつい忘れてしまいそうになるけれど

「大切な人の人生も一度きり」

なんですよね。

 

大切なひとのため
大切なことのために

今やれることがあるなら
自分がどうにか出来る可能性があるなら

絶対に僕たちはそこから逃げちゃいけないんだと思います。

 

大切な人が時間をつくれないなら、僕たちが時間をつくらなきゃいけないんだと思います

 

時間的な制約や、場所的な拘束によって、縛られて動けなかったことを後から悔やむ。

そんな未来は僕は絶対にいらない。

 

最期のお別れのとき棺の中で眠るばあちゃんの顔は涙で歪んで見えなかったけど

きっと口癖だった

「直哉はいつも頑張るなあ」

と、声をかけてくれたと思う。

 

自信を持って僕は、このビジネスをたくさんの人に伝えていきたいと思います。

 

あなたは、大切な人に何をしてあげたいですか?





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